vol.
012
MARCH
2016
vol.012 / ディア・トーキョー
親子三代東京物語
文:立川志らく × 写真:冨田里美
私は東京生まれの東京育ちではあるが、江戸っ子ではない。生まれは世田谷梅ヶ丘で現在は練馬に住んでいる。しかし父方の祖父はチャキチャキの江戸っ子でお灸の先生だった。いやお灸の先生だったなんてものではない。お灸の神様と呼ばれていた名灸師・深谷伊三郎である。鍼灸師は皆私の前にくると、神様のお孫さんでしたかとひれ伏す。「今からでも遅くないから落語家なんか辞めてお灸の仕事をやってください」なんてことを真顔で私に言う。まあお灸は父が仕事の合間に祖父の書物の普及をやっている。
その父もチャキチャキの江戸っ子。だがクラシックギタリスト。昔は日本五大ギタリストと呼ばれていた新間英雄。私はガキの頃から二人の江戸っ子を見てきた。祖父はまるで落語に登場するような江戸っ子。心に思ったことは全部口に出す。私が赤ちゃんの頃、祖父は抱っこしながら散歩をして、他の家の赤ちゃんを見ては、「可愛くねぇなあ、うちの孫に比べるとなあ。なんだい、あんな赤ん坊、ひねりつぶしちまえ!」なんて平気で言う。
父は音楽家だけあって物静か。まさに落語に登場する品の良い若旦那。自分の趣味以外何もしない。母は、静岡は浜松の、金持ちな女系家族の末っ子。父は養子。浜松の実家に親族が集合すると、義兄は全員前掛けをつけて掃除をするのに、一番下の父はソファーに座り何もせずパイプを吸っていた。
祖父と父の姿を思い出すと、何のことはない、現在の志らくであった。二人はまさに私にとって東京である。祖父は渋谷の本町で開業をしていた。そこは厳密に言えば下町ではないが、人情味ある商店街があり、おどろおどろしく入るだけで病気になりそうな病院があり、何軒も銭湯があった。また当時の梅ヶ丘は高級住宅地ではなく、長屋の集落があり、屑屋さんがいて、畑があった。どちらもそこには人が住んでいた。一時、若者の町に暮らしたことがあったが耐えられなかった。
私が現在、練馬に住むというのは不便ではあるが、人情味溢れる東京の街がそこにはあるからなのかも知れない。
編集:水島七恵