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vol.

016

MARCH
2017

vol.016 / 東京新陳代謝

アトリエ

絵・文:牧野伊三夫

僕の東京暮らしは、八王子の美術大学へ入学した1983年に始まった。この学校は八王子駅からずいぶん山のなかに入ったところにあり、入学後、そこの校舎の隣に建つ学生寮で一人暮らしを始めた。ここからは隣の山の上の草原に羊の群れがいるのが見え、郷里を出る時に思い描いていた東京の風景とはずいぶん違った。

さて、学校に通っていた頃は教室で絵を描いていたが、その後は自分でアトリエを工面しなくてはならない。卒業後は会社に就職したものの、家とは別にアトリエを借りられるような収入は無かった。当時は府中の小洒落たワンルームマンションに住んでいたが、大きな絵を描くときは机やベッドをベランダに出していた。壁や床は絵の具で汚すと不動産屋に嫌がられるので大きなビニールシートで養生をせねばならず、これではさすがに落ち着いて描けず、二間ある武蔵小金井のアパートへ引っ越して一部屋をアトリエにした。古い木造で壁が薄く、隣部屋の夫婦の営みもつつぬけで若かった僕には悩ましかったが、同じ敷地内の大家の庭には竹や松、櫟木(いちのき)などの木が生い茂る武蔵野の風景が残っていた。僕は、窓から見えるこの景色に心がなごみ、絵を描くのにはこうした昔ながらの落ち着いた雰囲気が大切だと思うようになった。会社を辞め、アトリエにこもって絵を描く生活を始めたが、数年後、大家の事情で立ち退かなければならなくなった。それで近所の梅や杏子の木が植わった広い庭の借景がある一軒家に引っ越した。そこでは隣に建つ古い長屋を改装して床に板を敷き西洋風の土足のまま入れるアトリエにしていた。ところが、しばらくしてここも大家の事情で立ち退きに合い、その後も絵を描くのにふさわしい家を探して転々とした。

昔ながらの古い長屋は落ち着いて絵が描けるので今も築47年の家に住んでいるのだが、最近また立ち退きの相談をされている。駅前の開発で地価が上がったのでどこかへ売るらしい。絵描きヤドカリは、東京の都市開発から追われるようにうろうろするばかりである。

  • 牧野伊三夫

    1964年北九州市生まれ。多摩美術大学卒。広告制作会社サン・アド退社後画業に専念。美術同人誌『四月と十月』同人。広報誌『雲のうえ』、『飛騨』編集委員。著書に『僕は、太陽をのむ』(港の人)、『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)。東京都在住。