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vol.

012

MARCH
2016

vol.012 / 対談

見えない領域をこの手につかまえて

青木淳(建築家) × 津村禮次郎(能楽師) × 荒神明香(現代美術家)

国内はもとより、世界中の著名な演奏家が愛する小ホール、ソノリウム。
すべての設備が音楽のために存在しているこの純白の音楽ホールは、青木淳さん意匠設計によるもの。
その青木さんを含めたお三方がここで初対面を果たしました。

大地を強く踏み鳴らす

津村禮次郎(以下、津村):素晴らしい空間でした。特に印象に残ったのは木材でできた床面です。能舞台の床面も、舞の演技に適するようにと、滑らかに削られた檜の厚板が使われているんですが、僕はその自然の木の感触がとても好きだから、今日も思わず足で踏み鳴らしましたよ。

荒神明香(以下、荒神):本当に気持ちよい空間でしたね。

青木淳(以下、青木):うれしいです。ソノリウムに来た方の気持ちが純粋に音だけに向かっていくような空間にしたかったので、できる限りシンプルな空間を目指しました。そのため音響設備も建物の構造のなかに溶け込むように設計しているので、一見、何ら音響的工夫がないような原始的な空間になっています。

津村:ただ立っているだけでも音楽が聴こえてくるような空間でした。もちろん実際は何も見えないし聴こえていません。でも何かこう醸し出されているような、ここは音を出すための空間だということが、はっきりと感じられるんですね。そもそも能は足拍子という音で作っていく部分がかなりあるんですよ。大地を強く踏みならすように、舞ったり踊ったり。相撲の四股もそうですが、もとは鎮魂の儀礼から生まれた足拍子は、能楽師にとって大切な意味を持っているんです。

青木:津村さんにとっての音のように、建築でも見えないものと向き合うことはとても大切です。実際に僕たち建築家は視覚を使って作業をしていますが、目って実際に見えている層では知覚できていないことがすごくあるんです。そもそも、重力や人の気の流れといったものは目には見えないわけです。建築家は目に見えるものを利用しながら、実は見えないものを感じよう、伝えようとしている。そういうことなんじゃないかと思います。

津村:それは私も同じです。能楽師は役を演じながら、見えない人間の心、有り様を可視化しているんです。もう一方で、世阿弥が確立した「夢幻能」にあるように、能の面白さとは、目には見えない神や亡霊、天狗、鬼などの超自然的な存在が登場することにあります。舞台でも最初は見えていない存在なんですよ。そこから少しずつ観客のみなさんに情報を提示していって、いよいよその姿を見せるときがきますが、見せると言ってもそもそも神や亡霊ですからね。そこが演じる私たちにとっても難しいところです(笑)。だからこそ面(おもて)をつけるというのはすごく有効的なんです。面である程度は役者の個性を消すことができますから。そこから作り上げていくものにこそ、人に伝わる物語があると思っているんです。

空に浮かんだおじさんの顔

荒神:今のおふたりのお話は、私自身すごく共感します。というのも、私の作品は、日常で見た風景がもとになって生まれることが多いのですが、大体の作品は実際に見た風景とは全然違うものなんです。それは普通なら気に留めないような風景の中にある、説明のつかないものと積極的に向き合う事だと思っていて。この部分は、津村さんの誰も見たことのない亡霊を演じることや、青木さんの構造的に求められることの裏側にある重力の流れを見ることとすごく通じ合う部分があるんじゃないかという気がします。そしてその不可解なものにこそ、表現の可能性があると思っているんです。

津村:そうですね、通じ合いました(笑)。それでね、僕はまだ荒神さんの作品を拝見したことがないので、どんな作品を作られているのか、教えていただけますか。

荒神:はい。今は目[め]という現代芸術活動チームを組んで作品を作っています。作品は、例えば2014年に宇都宮美術館の館外プロジェクトとして「おじさんの顔が空に浮かぶ日」という作品を作りました。その名の通り、空に大きなおじさんの顔が浮かぶ風景を出現させる作品です。

津村:おじさんは、実在するおじさん?

荒神:はい。宇都宮で結成した「顔収集隊」の方々と一緒に「おじさんの顔」のモデルを募集する活動を行ったら、218人の候補者が集まったんです。それから「顔会議」を開いて、そのなかから1人を選びました。

津村:(作品資料を見ながら)この方だ。ちょっとふくよかな、いい顔をしたおじさんですね。

荒神:実際顔を空に浮かばせたら、10年以上会っていなかった友達から電話がかかってきて「おまえ、浮いてないか?」って言われたそうです。

一同:(笑)

荒神:最初にこのプロジェクトを考えたときに、いろいろな意味で断られるだろうなって話していたんです。でも、それでも伝わると信じてお話してみると、美術館の館長さんはじめ多くの方々が力になってくださいました。本番当日は、実際に浮かんだおじさんの顔を見ながら泣いた人、爆笑した人……、想像以上にものすごくいろんな反応が寄せられて。

津村:確かに何かを思い出しますね。おじさんを通じたその向こう側に、自分の想いみたいなものが出てきます。土手沿いに浮かぶおじさんの顔を見ていると、だんだんメランコリックな気持ちになってきて「あいつは今、どうしているのかな」と、おじさんを媒介にして自分でも全然想像もしていなかった自分のなかの“あいつ”が、ふっと出てくる。

荒神:うれしいです! まさにおじさんというコアな世界観をみんなで共有することで、そこから一人ひとりの物語が立ち上がっていく感じがすごく新鮮でした。

青木:この作品も自分が見た風景上の体験があったんですか?

荒神:そうです。最初に学芸員の方から「この街で何かやってもらえませんか」と依頼をいただいて、それで私たちは街の人に尋ねてみたんです。「何かこの街で見たいものはありますか? 美術って観に行こうと思いますか?」と。すると「いや、僕自身が観に行かなきゃと思うものはない」と断言する人がいて。だったら逆に観に行かなくてはいけないものってなんだろう?と、宇都宮からの帰りの車中で南川憲二くん(目[め]のメンバー)と話をしていたら、ふいに中学生の頃に夢で見たおじさんの顔のことを思い出して。

青木:夢の風景だったんですね。

荒神:はい。電車の車窓から月のように光ったおじさんの顔がぽんって空に浮いていて。それを見たときにこれは世の中に存在しないけど、何かすごく大事なことが隠れている気がしてきて、それを南川くんに話したら、「それやろうよ! 街中で顔を集めよう」と、気づいたら逆に説得されていました。