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vol.

012

MARCH
2016

vol.012 / 対談

見えない領域をこの手につかまえて

青木淳(建築家) × 津村禮次郎(能楽師) × 荒神明香(現代美術家)

「私」という自我を消した先へ

青木:先ほど津村さんが「面をつけることで個性を消す」とおっしゃっていたことが印象的で。というのも僕自身も設計するときというのは、自我を持たないようにしているんです。どれだけ「私」ではないところから出発できるか。どれだけ「私」を消せるか。そこに意識をいつも置きます。なんていうか、自分を無防備の状態にして、相手に仮託する感覚なんですよね。それがちゃんと自分の感覚として“捕まえられた”と思えたなら、あとは考えることって実は何もないんです。もちろん、建築には建築なりの流儀があるので、そこはしっかり押さえなくてはいけないのですが、でもそれはあくまで技術的なこと。それよりも意識が自分を超えて相手に仮託していく方が、より良いものができると僕は信じています。

津村:わかります。私自身も若い頃は「こう演じたい」という自我があったんですよ。でも技術が足りないから思うようにできなくてよくもがいていました。でもこの歳になるとほとんどの演目を経験してきていますから、それぞれどういう立ち位置で自分があるべきなのか、ある種の型のような技術ができあがっている。今はその型を、無心で実行しているような感覚かな。私自身がひとつの器なんでしょうね。でも若い頃より今の方が演じていて全然疲れないんですよ。

青木:その型を演じられるときの、津村さんの頭の中は一体どうなっているんでしょう。

津村:どうなっているんでしょうね(笑)。例えばシテ方(主人公)である私は謡い、舞いますが、そのときのリズムは当然能囃子(能における器楽の演奏)とうまくフィッティングしなくてはいけません。でもなかなかフィッティングしないときもやっぱりあるんです。するとどうしても引っかかってしまいますよね。だから若い頃は、といっても50代ですけど(笑)、未熟なりにも「(囃子方に対して)もっとこい」と、自分が引っ張っていこうというような意欲がありました。ところがね、今はそういう意欲もなくなりました(笑)。むしろこの演目は、私に与えられたひとつの建物なんだと。私はそのなかでやるしかない、という感覚の方が強いのかな。

青木:建物(笑)、面白いです。

津村:それは能に限らず、例えばコンテンポラリーダンサーと競演するときも一緒。リハーサルはするけれども、そこで細かなことは決めません。「自分はこう演じよう」という自我を持っていると、合わないんですよ。それよりもその場、その瞬間の空気にお互いに反応し合いながらやっていく。素直に相手が持っているものにふっと身体を合わせていって自由に反応していく方がうまくいきます。その結果、周囲の人たちにはちゃんと計算して競演しているように見える(笑)。それが一番理想的ですね。

荒神:私はまだおふたりの境地にまでいけていないのですが、自分の作品が自分ではない感覚は、私もずっと感じてきたことかもしれません。「おじさんの顔が空に浮かぶ日」にしても、自分はただの媒介でしかなくて、そこから感じ取ることは、鑑賞者一人ひとりの内側にあることだと思っているんです。

津村:アートは「自分の作品」という意識もあると思うのですが、そこではないと。

荒神:はい。私にとってアートとは、鑑賞者それぞれが何を感じるのか?ということに還元されていくことが何よりも大切だと思っています。

津村:そうですか。私自身も自分は作品と観客とを繋ぐための媒介者だと思っているんですよ。

荒神:津村さんもそうなんですね。だから私、いつも矛盾と向き合っている気がするんです。これ(作品)は決して自分ではないのに、自分が説明しなくてはいけない事って何だろう?って(笑)。さらに私はそれを目[め]というチームで実践するんですけど、制作していく過程で、言葉にするのが難しい感覚やこだわりをどうやって仲間と共有していくのか、どのタイミングでそれらを手放すのか。いつもすごく葛藤します。

青木:僕もたまたま自分を通してそれを発見した、体験したっていうだけで、決して自分が作ったものではないなっていう感覚があります。ただ僕の場合は建築なので、発見してから完成するまでの間、試行錯誤する時間があるわけですけど、例えば津村さんのように演じるということは、一回性のものだから本当にすごいことですよね。

津村:つねに自分は自分のことを客観視できないというもどかしさはありますね。面をつけるでしょう。面の角度って自分ではわからないんですよ。鏡を見ても少し顔を上げないと見えないので。だからどれが適正な構えであるのか、人にチェックしてもらうんです。その基本の構えというものも面によって角度が違うので、その都度調整しながらスタンダードを見つけて、それを自分の身体に覚え込ませます。でも本番になると、感情が入ってきますから、だんだん構えが狂ってきてしまう。だから難しいんですよ。

青木:決して客観的になれないところで、舞を極めていらっしゃるんですね。

古いものと新しいものを接ぎ合わせて

荒神:おふたりが歩んでたどり着いた境地を、私もいつかちゃんと体得したいです。

津村:長くやっていると見えてくるものがあるんですよ(笑)。

荒神:今、ふっと「おじさんの顔」を作っていたときのことを思い出しました。カラスって夕方になると、急に集団で飛び始めるんです。

青木:カラスってあのカラス?

荒神:はい。普段は人間から嫌われながら孤独に生きているように見えるカラスです。でもそのカラスが集団になるとすごくチームワークのいい動きを見せてきて、それがすごく面白かったんです。というのも、これは人間の世界でも同じ瞬間があるなって思ったから。みんないろんな悩みを抱えながら、それぞれ暮らしている。でも何かがきっかけになって気持ちが通じ合う瞬間ってみんな経験していると思うんです。カラスのように個人であるということを忘れて、ただの生命体としてひとつになる。そういう瞬間を私はアートを通じて作り出していきたいって思いますし、そういう場が増えるといいなと思います。

青木:東京って雑多でばらばらだと思いますが、そのばらばらさって、ある意味で時間、時代のばらばらさを含んでいますよね。僕はそれをすべて均一化するためにスクラップアンドビルドしていくのではなくて、接ぎ木をしていくようなイメージが良いと思うんです。奈良に東大寺法華堂という仏堂がありますが、この仏堂は奈良時代に建てられた寄棟造りの正堂と鎌倉時代に入母屋造りに改築された礼堂が接続された構造なんです。まさに接ぎ木で、その構造がとても絶妙で美しい。そういう、古いものに新しいものを足していきながら、ばらばらさを保つ。古い根を切ってそこに新たな若い根を足すことで、その苗自体の年齢が若返って元気になるような環境や文化が増えていったら、すごく豊かな街になると思います。

津村:青木さんのおっしゃるように、まさに東京は時代や時間軸も混在したものに溢れていますし、人も種々雑多です。私自身も現代演劇で20代、30代のコンテンポラリーダンサーと一緒に踊ることがありますが、関係性はほぼイーブンです。グローバル社会と叫ばれている今こそ、そうやってみんなが自分なりの自由さを手にしながら、個々でちゃんと存在できるということが大切だと思うんです。

荒神:能、建築、アート。まさに時間、世代、人種を超えて一緒に体験できる文化ですね。

津村:世阿弥の書いた演目に『高砂』という演目があります。老人の姿を借りた松の精、それも相生の松といって、男女一組の夫婦の松の精が登場するめでたい演目なのですが、この演目は人間の本質的な幸福、コアの部分が描かれています。ぜひこの時代にこそおすすめの演目です。

青木:素晴らしい。『高砂』でこの鼎談、締まりました。

津村:(笑)。ぜひ観にいらしてください。

  • 青木淳 Jun Aoki

    1956年神奈川生まれ。1991年に青木淳建築計画事務所設立。個人住宅をはじめ、公共建築から商業施設まで多方面で活躍。主な代表作に「馬見原橋」、「S」、「潟博物館」、「ルイ・ヴィトン表参道」、「青森県立美術館」などがある。最新著書として 2005年から2014年までのプロジェクトを収録した、『青木淳 Jun Aoki Complete Works |3|』(INAX出版)が2月に発売。
    http://www.aokijun.com/

  • 津村禮次郎 Reijiro Tsumura

    1942年福岡生まれ。大学在学中に能楽師の津村紀三子に師事。1974年緑泉会を津村氏から継承し代表会主となる。古典能、新作能、現代演劇とコラボレーションをする傍ら、近年は文化庁文化交流使として、海外での指導交流活動や制作公演も行う。主著に『能がわかる100のキーワード』(小学館刊)、写真集『舞幻』(ビイングネットプレス刊)。
    http://www.ryokusenkai.net/profile.html

  • 荒神明香 Haruka Kojin

    1983年広島生まれ。日常の風景から直感的に抽出した「異空間」を、美術館等の展示空間内で現象として再構築するインスタレーション作品を展開。これまでアメリカ、ブラジルなど、国内外で作品を発表。2012年からは表現活動体wah documentの南川憲二と増井宏文とともに、現代芸術活動チーム「目[め]」を始動。主に企画を担う。
    http://www.scaithebathhouse.com/ja/artists/haruka_kojin/

編集・執筆:水島七恵
写真:井上佐由紀
撮影協力:sonorium、つり堀 武蔵野園